日蓮宗妙具山全性寺は室町時代の大永2年(1522) 北国身延とも称せられた越前脇本の妙泰寺住職、本妙院日仁上人によって、越中放生津(富山県新湊市)に創建されました。日仁上人の縁戚であった越中放生津城主 神保安藝守からの要請であったといわれています。
天正年間(1573~93) 前田利家の長男で加賀藩初代藩主の前田利長に従い、富山、越中守山(高岡)、そして金沢に寺庵を移し、天明6年(1786) 現在地に移りました。
宝暦9年4月(1759)、さらに明和8年2月(1771) の大火で本堂、庫裡を類焼し、寺宝等を焼失したため、全性寺に関する詳しい資料が残っていません。
《 付 記 》
◎ 宝生流家元 宝生紫雪、波吉宮門(紅雪)、
諸橋権之進などの謡曲諸家の墓
◎ 泉鏡花の母 鈴の生家 中田家の墓
中田家は加賀藩の能楽師(太鼓方)。
鈴の兄 金太郎は、明治の有名な能楽師である宝生流の
16世 宝生九郎の下で修行。その道の実力者でした。
◎ 郵便局の前身、江戸三度といわれた村松屋徳左ヱ 門の墓。
◎ 信長、秀吉、家康、利家などの脈を取った医者
曲直瀬道三の末裔の墓。