《 山 門 》
建立年代は不詳ですが、18世紀後半に建てられたと推定されています。
2階には梵鐘がありましたが、太平洋戦争で供出しました。楼門全体が紅殻で
彩色されているところから、「赤門寺」と呼ばれ親しまれています。内部には
仁王像が安置され、身体健全や発育祈願、足腰の病気の治癒を願う大小多数の
草鞋(わらじ)が奉納されています。
泉鏡花は小説の中で大草鞋を「木乃伊(みいら)のやう」と表現しています。
この山門は金沢市内に残る数少ない寺院楼門建築の遺構として平成16年(2004) に金沢市指定文化財(有形文化財・建造物)に指定されました。
《 本 堂 》
昭和13年(1938) 当山24世日葆上人の代に総ケヤキ作りで再建され、当山では一番新しい建物です。
— 堂 内 —
《 日蓮聖人 》
現住職が入寺する前から、下の様な法衣を纏っておられました。平成27年12月に修復の必要があるか確認するため、法衣を除いたところ、綺麗な左のお姿がありました。今後は紫の法衣を使わず、元来のお姿でご安置します。
状態を確認するために来ていただいた仏師 坂上俊陽氏に、きれいに拭いていただきました。
《 愛染明王 》
平成27年、傷みが進んだため、仏師 坂上俊陽氏に依頼し修復しました。
褪せた塗料から当時の色を再現し、現在まで綺麗に残っていた左頬に合わせて古色彩色を施しました。修復の過程で、下地に和紙が用いられていたと判明したため、江戸時代に勧請されたお像であると推定されます。
《 不動明王 》
寛保元年(1741) 加賀藩10代藩主 前田重教(しげみち)公の生母 実成院は安産の祈祷を当山13世日寛上人に命じました。
重教公安産の後、不動明王を彫刻させて当山に預けました。実成院は毎月27日、または28日に城中に不動明王をお迎えし、拝礼されました。
《 摩耶夫人 》
安産・安育守護の神として信仰されています。像は等身大であり、右脇からお釈迦さまがお生まれになったという伝承をお姿に表しています。
《 清正公 》
加藤清正公は、安土桃山時代に豊臣秀吉公のもとで活躍した武将です。熊本藩初代藩主であり、築城や治水、干拓など治世の名君でした。
庶民からの尊崇を集め、江戸時代中期頃より清正公信仰が始まり、戦時中は武運長久を、現在は受験合格が祈願されています。
《御妙大明神》(護妙尊)
三十六歌仙の一人といわれている猿丸太夫(生没年不明)は日本全国の歌行脚を志し、熊野権現に道中安全を祈願しました。その際に護妙尊が守護神として猿丸太夫を守護しました。
江戸時代、高尾村(金沢市)沢知庵住職 勇了院日真上人が沢知庵に護妙尊を迎え「四海一乗社」を称しました。明治17年(1884) 11月20日、当山22世日道上人の夢にお告げがあり、護妙尊を当山に移し祀られました。
北陸の鉱山王といわれ尾小屋鉱山を経営した横山家13代隆平男爵の叔父 横山隆興氏は、成功を祈り熱心に護妙尊を信仰したといいます。
《 庫 裡 》
明治19年5月(1886) 当山22世日道上人の代に、武家屋敷三棟を解体して建築したものです。座敷の柱は細く、加賀の武家屋敷の建築法が洗練され、完成された形を残しているといわれています。